死んじまったオヤジに対して・・・・。

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こんにちは、やまとです。

 

 

 

一昨日、父が亡くなった時の話をしました。

 

ちょっとだけ反響もあったし、

今日はお盆しかも終戦記念日。

という事で、オヤジの事を思い出してみました。

 

まぁ自分の歳を考えれば、

親の死と言うのは必ず訪れる事ですし

順番から考えても妥当じゃないかと思います。

こればっかりは、しょうがない。

 

いくらもっと生きていてほしかったと考えた所で、

それは亡くなったから思う事で、

じゃ父が生きていた時に思ったのかと言えば否でした・・・・。

 

 

 

私のオヤジは昭和の一桁台の生まれ。

オヤジのオヤジ、つまり私から見れば祖父に当たる人は

古物商を営んでいた様なのです。

しかし、オヤジが小学生の頃に戦争で死んでしまったとの事。

ですから私は会た事もありません。

 

祖父はどうやら骨董品を保管する倉庫もあったそうなのですが、

その倉庫の場所も小さかったオヤジには場所がわからず、

何度もオヤジは一人で探しに行ったそうです。

 

しかし、結局は見つからず悔しい思いで何度も帰って来たそう。

たぶん名古屋にあったその倉庫も空襲があったので、

そのまま焼失したのではないかとの事でした。

 

そんなオヤジは6人兄弟の長男。

上には姉が一人。

自分のすぐ下の弟は小さな頃に交通事故で亡くなったそうなのです。

 

長男ですから人一倍家族の事を考えていたそう。

自分はと言えばゼロ戦に乗りたくて小学校を卒業するとともに

予科練、つまりは飛行予科練習生に一旦はなったそうなのです。

 

しかし、終戦とともにその夢も叶わず、

そのまま仕事を始めたらしいのです。

 

もし終戦が来なかったら、そのまま特攻に駆り出されていたわけで

今の私はいなかったかもしれません。

 

 

戦後、兄弟が全員小学生だった事もあり、

結局働けるのはオヤジだけ。

 

ほぼ小学校を卒業して少しだけ学校に行った後、

それからずぅーっと働いていたそうなのです。

 

その甲斐もあってか、

2人の弟は公務員になって、後に大臣からも表彰されるぐらいで

小学生の頃も成績は抜群に良かったと聞いています。

 

そういえばオヤジの葬式の時に

開業医の同級生から

オヤジの成績も良くて、

抜けなかったと聞いた事があります。

 

まぁ葬式ですから故人の事をアゲているのでしょうけども!

 

ですから13~14歳から働き始めて、

兄弟の親父代わりも務めてきたオヤジです。

まぁちゃぶ台をひっくり返す勢いのオヤジで、

まさしくリアル星一徹(笑)

 

しかもまじめの上に馬鹿が付くぐらい。

 

テレビのチャンネル選択権はオヤジでしたし、

ご飯の時は必ず正座。

一番風呂は必ずオヤジからで、

ご飯はオヤジが手を付けるまでは食べられない。

 

食べる時には必ず手を合わせて・・・。

まぁ言い出したらキリがないぐらいのルール。

 

しかし、私はと言えばそんなオヤジに反抗してばかり。

言う事を聞いたのは、

幼稚園の頃に

「柔道をヤレ!」って言われて、

そのまま始めた時ぐらい。

 

その後は、我慢を美徳とし、

まじめにコツコツとが暗黙の了解。

 

家族旅行も行かず、

自分の授業参観や運動会に顔も出さない。

 

そういえば、大学に行きたいと言った時も

「大学なんて行かなくていい、働け」

と言われた事を思い出します。

 

後に、大学に行かせるお金が無くて情けなかったと

酒を飲みながら言っていましたけど・・・・。

 

だから結局は母のヘソクリと自分のバイトで

学費を賄っていましたね。

 

 

まぁこうやって回顧録の様に、

オヤジとの思い出を書いていても、

いい事や楽しかった思い出なんて一切出て来ません。

 

しかしオヤジが死んだ時、自然に涙が出て来ました。

 

苦労してきた分、老後ぐらい幸せに楽にしてやろうとは

思っていたのです。

 

でもサラリーマンで会社中心の生活、

4人の子供を持つ私としては

親にまで気配りは出来なかった。

心の中では

「もう少し待って・・・」

と思いながらも!

 

結局この「もう少し」も

具体的なアテがあるわけでもなく、

今のこの時期が終わればって勝手に思っていただけ。

 

私が42,3歳の頃で、

正直親の事よりも自分の生活でいっぱいいっぱい。

 

それよりも、親の事なんて真剣に考えていなかった。

「いつかは幸せにしてやる。」

って思っていても、

両親の為ではなく、

自己満足の為。

自分が良いことをしたって思いたいだけ。

 

そんな小せェ自分と、

そんな子を持ってしまったオヤジが

不憫で涙が出ただけかもしれません。

 

 

しかし生まれ育った環境の違いはありますが、

結局男にとってオヤジって同じ様な感じじゃないでしょうか?

 

実家から離れて生活をしている分、

孫が出来たからと言って、

自分とオヤジとの関係がそれほど変わる事でもなく・・・・。

 

それ以上に、自分の親は特別で、

いつかは死んじゃうんだろうな~と考えつつも、

その日が確実に来ることは考えない。

もしかしたら来ないと考えちゃっているぐらい。

 

親孝行も本心と言うより、

「いい人」と思われたいだけ。

 

まるで偽善者!

 

 

それでも、この『偽善』を行うにしても

必要なのは先立つもの。

先立つものとは、やっぱりお金なんですよね。

 

若い人に、自分の親の死を考えろと言っても

ピンと来ないでしょうし、

「なにを不吉な事。」

って思うのかもしれません。

 

しかし、確実にその日はやって来るのです。

 

しかも多くの場合は子よりも親の方が早く死ぬのです。

 

大した準備も出来ないままやって来ます。

 

その時は今まであなたが行って来た事が、

そのまま反映される時。

 

準備していなかった人は、そのまま準備しないまま迎え、

お坊さんに払うお布施も、葬儀代も、香典返しも、

お墓のお金も、お通夜の時の飲食代も、入院代も、

一気に現金が必要となるのに支払えない。

死んだ親の口座は一旦は凍結されますから、

引き出す事も出来ないですしね。

 

しかも自分の子供が大変な時期であれば、

学費で生活もままならない状態でしょうし!

 

辛い時って重なる様に人生出来ていますから!!

 

実際私も恥ずかしい思いもしましたし・・・・・。

 

でもね、そんな時の為にもお金って必要です。

無いよりはあった方が絶対にいいはずなのです。

 

心に余裕も出来ますし、

安心して親にも長生きして下さいって思えます。

 

親孝行したい時には親はなし。

 

今回は、ここまで

やまとでした。

 

 

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■2014年夏

ネットビジネス、カメラ転売に取り組む。

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カメラ転売に特化したスクール『カメラ転売クラブ』を開講。

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■2018年冬

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<プロフィール>

学生時代にバブル期を経験。

卒業後一部上場企業に就職。

結婚を機に地方の中小企業に転職。

人財開発室室長、各種リストラ案件の立て直し、新規事業の立ち上げ等々各種プロジェクトを成功させる。

 

2014年からネットビジネス、カメラ転売に取り組み、現在はカメラ転売に特化したスクール『カメラ転売クラブ』を主宰。

 

4人の子供のオヤジとして、日々中高年に向けて強烈なメッセージを発信している。

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