誰よりも親不孝な私が母について想う

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こんにちは、やまとです。
2日間、メールお休みしてしまいましたm(__)m

実は、母が病院に運ばれたと聞いて
実家の方に行っておりました。

私の実家は岐阜県であり、私が住んでいる
愛知県とはとなりの県であります。
距離にして40km程。
車で1時間ぐらいの距離であります。

田舎町の総合病院は、山の方にあるのですが、
夜はなんだか気味が悪い。

夜中に廊下を歩く音が聞こえたりすると
ドキっとしてしまいます。

看病と言うと聞こえがいいのですが、
実は病院に行っても何もする事がなく、
もちろん実家には私が寝る様になってもいなかった為、
一晩病院にいる事にしたのです。

辛いのは、『禁煙』の張り紙。
病院ですから当たり前と言えば、当り前なのですが、
『禁煙』と言う文字を見ると吸いたくなってしまいます。

しかも、病院で寝るなんてことは出来ませんし、
基本「付き添いの方は出って言ってください」と言われる。
しかたなく、邪魔にならない所を探しているのですが、
落ち着かない。

そこで、喫える場所を探すのですが、
院内に喫煙所が設置されている訳でもなく、
病院の敷地内は全面禁煙のエリア。

田舎町の病院は広大な駐車場が広がっていて
その外に出ないと吸えないのです。

折しも台風が来ている最中、
傘をさして、タバコにスマホを持って
外に出るという作業になっていました。

そこまでして、喫いたいのかと言われれば
そうなんですが、実際は病院の機械の音と
暗い雰囲気がどうも嫌で歩き回っていました。

こんな時にもタバコを喫える場所を探す位ですから
やっぱりタバコ、控えた方がいいですね。

ただね、タバコを吸いながらいろんな事を振り返るんですよ。
過去の事を・・・・。
私の父が亡くなったのは数年前。
体調を崩して入院していたらしいのですが、
私には連絡するなという事で
入院している事すら知りませんでした。

当時はサラリーマンで休日もそれこそ出勤していた時代。
私が仕事を休んで見舞いに来るのが嫌だった様なのです。

入院した原因はちょっとした体調不良。
入院して10日間ぐらいした時に医者から
「明日退院してもいい」
と言葉をもらったそうです。

ところが、その日の夕方
看護婦が病床に行くと心臓が止まっていたらしく、
そのまま心臓マッサージが始まったようです。

私に知らせが入ったのが、その3時間後。
私はと言えば、久しぶりの休日で
温泉につかっていたのです。

温泉から出てロッカーの中から
スマホを取り出すと、
着信と留守電が鬼の様にあって、
待ち合わせをしていた家内が
館内放送をお願いする始末。

それで、急遽そのまま病院へ行ったのです。

すると目の前には、
汗を流しながら心臓マッサージを続けるお医者さん。

涙ながらに父の手を握っている母。
姉に関してはもう錯乱状態でした。
私の顔を見て、心臓マッサージをしているお医者さんが
他の方と交代し、私を少し離れた所へ。

「3時間以上行っているのですが、
戻って来ません。お気の毒ですが・・・。」
というお医者さん。

どうやら、私が来るまではと思っていたらしいのです。
(正直、「お気の毒ですが・・」は覚えているのですが
細かい話は覚えていません)
私は前職を辞めたのが30歳になる前、
2人目の子供が出来た時でした。

異動が多い会社でしたが、
親の死に目にも会えないと
いう事で横浜から愛知県に異動を願い出たのでした。
結局はその後も異動の話とか
色々あって転職したのですけどね。

その話を姉が覚えていたらしく、
私が父の顔を見るまではと
心臓マッサージを続けていたらしいのです。

私は、「お気の毒ですが・・・」
と言う言葉を聞いた後に覚悟を決めて、
そっと母の方に手を置き、
「もう、あきらめよう」
と言った事を覚えております。

その時は、なんだか現実離れを自分の中で起こしていて、
ドラマのワンシーンを見ていたような気がしていましたね。
そんな父も母も昭和の一桁台。
「巨人の星」を時で行くような家庭でした。
食事の時にテレビを見るなんてもってのほか、
ご飯の最中にお茶を飲む事すら許されませんでした。

当然、テーブルではなく卓袱台で
正座しての食事。
足を崩そうものなら平手打ちが飛んで来ました。

母はいつも一歩下がってついて歩き、
昭和のオヤジは頑固者。
こんな感じで、何時も絶えていたのが母でしたね。

私が、大学に行きたいと言っても、
「大学に行っても意味が無い、働け!」
と言っていたのを、
へそくりで入学金を出してもくれました。

父が務めていた会社は市場であって、
定年後は代表になったのですが、
「俺はこの会社で家族を養って来た、
だから給料は要らない」
と言って報酬も貰わない様な父でしたから、
母にとっては大変な人でしたね。

後に、
「給料ぐらいは貰っておけばよかったのに・・。」
と言ってましたけどね(笑)
その時は黙って、言う事を聞いていたそうなのです。

私にとってはいつも問題があったり、
何かあると間に入ってくれたのが
母でした。

実家にもあまり帰らず、
勝手気ままに暮らす私に、
いつもフォローをしてくれてもいました。

まぁ、自分の家族を見ていても
同じ様なものなのですよ。

家内が子供達との間に入って・・・。

母親ってそんな存在なのでしょう。
というか、私がそんな存在にしている。

母も、家内にも私は思いっきり苦労ばかり掛けています。

結局会社にクビになった時も、
こうしてネットビジネスをしてる時も・・・。
現に毎週東京やら大阪やらに出向いて行っていますし、
ほぼ休日も休みなく何かしら行っているのです。

今年のお盆の時も、私は課題をクリアしなきゃと
仕事してましたし、それを知った家内は子供を連れて
墓参りをしに行ったぐらいです。

そりゃ、死んだ父も起こりますわなぁ~。

何かしら自分で仕事をしていたりすると、
自己満足に陥ってしまいます。
自分が家族を養っているんだと言う勝手な思い込み。
実際に家族は私を中心に、家内が回している状況。
苦労を掛けています。

たぶん、母も同じような状況であったのではないかと
推察しています。
実はお陰様で、昨日母は目が覚め、
何事もなく私に悪態までつく様になりました。

本当にホッとしています。

このまま死なれたら、私自身本当に親不孝で終わってしまいます。

80も半ばになって、
母も人生を振り返っている事だと思います。

いつも、
「後悔ばっかり」
と言うのが母の口癖になって来ました。

私自身も50を前にして、少しだけ
自分を見つめ直す事が出来る様になってきました。

稼ぐという事に付いても考えます。

例えば、人を騙すような事をして稼いだお金を
親に使ったとして、それは親孝行なのでしょうか?

私は違うと考えています。
たぶんそんな事をしたら、
死んだオヤジが私を呪うぐらい怒ると思います(笑)

母にも胸を張って、
「こうやって稼いだ」と言いたいですし、
残り少ない人生を楽しませたいと考えています。

何でもかんでも稼げば、それでいいとは思いません。

何だか、今までは自分が生きるのに
必死で稼がなきゃと思っていましたが、
もう一つ足枷を自分で作ろうと思いましたね。

もし、あなたが少しでも共感できる部分があれば、
今行っている努力も大したことは無いのではないでしょうか?

私自身、今までの人生が、
人に胸を張れるものではありませんでした。

それは、自分に甘えたり、サボったりした事ばかりを
思い出します。

ホンの少しでけでも、
親にも認められる努力をし、
そして子供たちにも、
誇れるオヤジでありたいと思います。

子供達も、自分に甘えたり、
サボったりする親は見たくはないですからね。

親孝行したい時には親は無し

今回は、ここまで
やまとでした。

【追伸】
明日は新しい取り組みを皆さんにお知らせします。
今年の年末にかけて、
絶対に見逃せない企画です。
明日のメールも楽しみにしておいてください。

 

 

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■2014年夏

ネットビジネス、カメラ転売に取り組む。

初月10万円

■2015年春

カメラ転売で月収100万円を超える。

カメラ転売に特化したスクール『カメラ転売クラブ』を開講。

■2017年夏

ゴールデンルールセミナーに登壇

■2018年冬

最高月収1600万円を達成

 

<プロフィール>

学生時代にバブル期を経験。

卒業後一部上場企業に就職。

結婚を機に地方の中小企業に転職。

人財開発室室長、各種リストラ案件の立て直し、新規事業の立ち上げ等々各種プロジェクトを成功させる。

 

2014年からネットビジネス、カメラ転売に取り組み、現在はカメラ転売に特化したスクール『カメラ転売クラブ』を主宰。

 

4人の子供のオヤジとして、日々中高年に向けて強烈なメッセージを発信している。

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